千葉泰樹(1910-85)は、無声映画期から1960年代末の撮影所衰退期まで、多くの映画会社を渡り歩きながら、その卓抜で洗練された演出によって、良質のドラマを撮り続けた監督です。
阪妻立花ユニバーサル聯合映画に助監督として入社した千葉は、1929年に河合映画に移り、1930年には監督昇進を果たすと、3年間で27本もの作品(1本を除きすべて時代劇)を手掛けます。1932年に河合映画を退社し、1933年に入社した日活では、現代劇部の監督として喜劇や「新婚もの」などの家庭劇、流行歌を採り入れたドラマといった娯楽映画を、確かな演出力によって撮り続け、撮影所の量産体制を支える若手監督として頭角を現すと同時に、『人生劇場 残侠篇』(1938)や1939年の南旺映画への移籍後に撮った『空想部落』などで、批評家の注目も集めるようになります。
その後は東宝・大映と所属を変え、戦後1947年にフリーとなってからは、新東宝、松竹、日活、東映などの各社に呼ばれて、すぐれた作品をコンスタントに送り出します。1950年には、プロデューサー・藤本眞澄と初めて組み、以後、2人は約40本もの作品で協働し、創作上の重要なパートナーであり続けました。1956年には東宝の専属となり、「社長」シリーズ(最初の2作)や『大番』4部作(1957-58)、「香港3部作」(1961-63)などの大ヒットシリーズから、『鬼火』(1956)『下町』(1957)『二人の息子』(1961)といった重厚なドラマまで、黄金期の日本映画の質を支え続け、生涯で140本もの映画作品を残しました。
今回の回顧特集では、1932年の『義人呉鳳』から1969年の最後の監督作品『水戸黄門漫遊記』まで、史上最大規模の57本(52プログラム)をまとめて上映します。フィルムセンターの大スクリーンでどうぞお楽しみください。
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