現存する最も古い千葉監督作品。1932年、千葉は河合映画から新興の富国映画へと移るが、同社は間もなく経営難に陥る。一方、台湾出身の映画監督・安藤太郎は同地で台湾人と共に映画プロダクションを設立し、その第1作として18世紀清朝の通訳官・呉鳳のよく知られた美談を千葉と共に映画化する。千葉は続けて同プロの第2作『怪紳士』(1933)も監督した。
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義人呉鳳
(64分・16fps・35mm・無声・白黒・不完全) 現存する最も古い千葉監督作品。1932年、千葉は河合映画から新興の富国映画へと移るが、同社は間もなく経営難に陥る。一方、台湾出身の映画監督・安藤太郎は同地で台湾人と共に映画プロダクションを設立し、その第1作として18世紀清朝の通訳官・呉鳳のよく知られた美談を千葉と共に映画化する。千葉は続けて同プロの第2作『怪紳士』(1933)も監督した。 1932(台湾プロ)(監)千葉泰樹、安藤太郎(脚)多藪詔啓(撮)池田専太郎(出)秋田伸一、津村博、湊明子、丘はるみ ■(監)=監督・演出 (原)=原作・原案 (脚)=脚本・脚色 (撮)=撮影 (美)=美術・舞台設計 (音)=音楽 (出)=出演 |
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