日本の文化・記録映画の歴史に大きな足跡を残した巨匠・亀井文夫(1908-1987)。留学先のソビエトで映画の可能性に目覚めた亀井は、レニングラード映画技術専門学校の聴講生になると、帰国後の1933年に写真化学研究所(P.C.L.、後に東宝映画)に入社、1935年に『姿なき姿』で監督デビューしました。その後、『支那事変後方記録 上海』(1938年)や『信濃風土記より 小林一茶』(1941年)などの作品で文化・記録映画を表現力豊かなジャンルに高め評価される一方、1939年には軍部の後援で監督した『戰ふ兵隊』の上映禁止、1941年には映画人としてはただ一人、治安維持法違反容疑による検挙・投獄を経験することとなります。戦後も『日本の悲劇』(1946年)のGHQによる上映禁止処分に見舞われながら、独立プロを興して『基地の子たち』(1953年)や『生きていてよかった』(1956年)などの問題作を発表、生涯にわたり戦争や核問題、差別、高度経済成長による社会の歪みを見つめ続けました。
亀井文夫の生誕100年を記念して開かれる本企画では、長篇劇映画や企業PR映画での仕事も交えながら、47本の作品(予告篇1本を含む)を23プログラムに構成して上映し、その足跡をたどります。
※お知らせ※
・本企画の14『女は下着で作られる』は上映プリントの劣化のため、上映中止となりました。上映プログラムは変更となります。(→詳しくはこちら)
・9『女ひとり大地を行く』の上映分数は、146分→164分へ変更となります。(→詳しくはこちら)
あらかじめご了承ください。