世界の映画史をひもとけば、どの国の映画も、そこで生まれた優れた文学作品を糧として発展してきたことが分かります。映画大国日本も例外ではなく、その百年以上にわたる歴史を通じて、さまざまな文学者たちの残したテクストが脚本家や監督たちを絶えず刺激してきました。
この上映企画は、フィルムセンター展示室にて開催の展覧会「映画資料でみる 映画の中の日本文学Part 2」(4月3日~6月18日)の関連企画として、展示企画が対象とする昭和の始まりから終戦期までの文学作品を原作とする映画に焦点を当てたものです。個々の文学作品が各時代の文化状況の中でいかに一本の映画に“翻訳”されたかを、16本(15プログラム)の名作を通じてたどります。
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◆川端康成「伊豆の踊子」(1926年)
川端康成が満19歳、1917年の体験を、26年に小説として発表したものを、同時代読者だった五所平之助が田中絹代(23歳)主演[上映作品1]で映画化を実現した。純文学作品の映画化が珍しかった時代で、この成功がその後の“文芸映画”流行のさきがけとなったともいえよう。ただし大衆観客に配慮して、かなり物語的な枝葉を脚色せざるをえなかった。「伊豆の踊子」映画が思春期スター売り出し商品となるのは戦後だが、元来淡々たる原作なので、合計6回の映画化は、何れも原作を離れた設定や人物を加えている。戦後最初の美空ひばり(17歳)主演版[上映作品2]は基本的に戦前版を踏襲、続く鰐淵晴子(15歳)主演版[上映作品3]では旅芸人家族のしがらみが強調されるなどは、松竹メロドラマの伝統だろうか。概して後の作になるほど原作を尊重する態度が強まるのは、川端の文壇的社会的地位の上昇と、小説「伊豆の踊子」が青春文学の古典として位置づけられたことの反映である。一方で、原作との時間的距離は拡大し、その結果、吉永小百合(18歳)主演版[上映作品4]は回想形式の枠組を設定している(そこでは現在がモノクロで過去がカラーで表現された)。そのような原作との距離感は、リメイクを重ねるうちに抒情性よりそこに潜在する社会性に目を向けさせるようになる。内藤洋子(16歳)主演版[上映作品5]に萌芽として見られた踊子の悲劇性は、山口百恵(15歳)主演版[上映作品6]では意識的な環境表現によって強調された。その最後のストップ・モーションから三十数年、新しい『伊豆の踊子』が途絶えているのは、映画界と青春と、双方が変容した結果だろうか。二回監督した西河克己に『「伊豆の踊子」物語』の著作があるが、自作に格別の愛着を抱いていたのはやはり初作の五所だったろうか。「踊り子といへば朱の櫛あまぎ秋」五所亭。