木下惠介監督(1912年12月5日生まれ)は、1933年、松竹蒲田に入り、島津保次郎に認められて助監督となり、脚本家としても頭角をあらわす。1943年、「花咲く港」で監督デビューを果たし、同年にデビューした東宝の黒澤明のライバルと目される。戦後映画の黄金時代たる1950年代には、「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「喜びも悲しみも幾歳月」といった質の高いメロドラマを大ヒットさせ、松竹を代表する国民的な監督となった。一方で、ユーモアや風刺のセンスに長けた喜劇の名手としても知られ、また、邦画初の色彩長篇映画「カルメン故郷に帰る」を監督したり、逸早くテレビに進出したりと生涯才人ぶりを発揮しつづけた。
“木下惠介は一定のジャンルやテクニックやドグマにとどまることを拒否してきた。そしてそのことでいつも批評家たちを驚かせてきた。彼は喜劇と悲劇の両方に秀でており、一方で社会問題とは無縁な今どきの家族のホームドラマを作り、他方では社会の不正を暴く時代物を撮る。オールロケーションの映画もあれば、全篇が一軒家のセットだけというものもある。撮影に長廻し、ロング・ショットを用いて映像のリアリズムを厳しく追及するかと思えば、その同じ作家が、細かいカット割りや複雑なワイプ処理、キャメラの上下動、さらには中世の絵巻物の技法や歌舞伎の舞台技術まで使って、様式化をとことん推し進める。”
“ただし、木下作品にはそうした多くの新しい実験にもかかわらず、いつも変わらぬものがある──無垢なもの、純粋なもの、美しいものに高い価値を置こうとすることがそれであり、彼はそれゆえに「永遠の青年」と呼ばれることになってしまった。”
“しかし、木下惠介が持ち続けるそうしたナイーヴさ、すなわち純粋なものや美しいものに傾倒する感傷的な理想主義こそが、まさに彼の映画に独特の風趣を添えているのだ。もっともうまくいった場合、彼の映画は、苦しみと隣り合せでもあるそうした価値感への郷愁の情を醸し出すことに成功している。サムライの時代から素朴、誠実、純粋、献身、そしてとりわけ正直一途といった価値を大切にしてきた日本人にとって、自分たちと同じような普通の人間として登場する木下映画の主人公たちが、自分たちがそうありたいと願うような、純粋で無垢で善良な人物であることを目にするのは、逃れがたい魅力なのである。”
──オーディ・ボック著「日本の映画監督」より
人間の視覚そのものを複製するかのような写真術の発明は、近代を生きる人々の感じ方や考え方に大きな影響をあたえ、ひいてはこの時代の写真家や画家のあいだに実り豊かな交感の場をもたらしました。A.スティーグリッツ、G.オキーフ、A.ロドチェンコ、瑛九、恩地孝四郎らの写真や絵画作品など、約70点を展示します。
トーマス・シュトゥルート(1954年ドイツ生まれ)は今日、国際的に最も注目される写真家のひとりです。正面からニュートラルに撮影された建築や肖像のシリーズ、作品とそれを観る人々を撮影した美術館シリーズなど、彼の写真は私たちがふだん何気なく見ている世界の、ふだん意識されない力学、歴史や文化の違いなどを丹念に、理知的に浮かびあがらせます。本展は初期から今日まで、シュトゥルートが重ねてきた、写真による世界の探究をたどるものです。
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